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「お待ちください緋杜様!」

背後から影千代が緋杜に走り寄る。
環の言葉に不安を覚え、まさかと宿舎に急ぎ帰ったのだ。
影千代の予感は当たった。
自信を喪失している人間に荒療治など通用しない。
それよりも今は御庭番として、幼い頃から互いを知る者として
信用を得る事しか道はないと影千代は考えていた。

「緋杜様、手合わせでしたら是非私めとお願い致します!」

影千代の唐突な申し込みに
雷蔵と後からついてきた環も驚きを隠せない様子である。
しかし緋杜は、先程よりも少し嬉しそうに微笑むと
無言で影千代の手の中にある木刀を取り、雨が容赦なく叩きつける庭へ履物も履かずに下りていった。
影千代も緋杜へ続く。

先程よりも激しく降る雨の中
二人は構え、しばしの沈黙のあと
まるで示し合わせたかのように同時に打ち込んだ。
雨音しか聞こえない、静かな始まりであった。

緋杜の奥底で鎖の外れるような鈍い音がした。
我にかえると、夢中で打ち込んでいた。筋がちぎれんばかりの速度で。

幼い頃、こいつの使命感に憧れていたのは私のほうだ…

家臣の息子でありながら陣内様や緋杜様の為にと
めきめき腕を上げていくこの男に。
父親を亡くしても尚強く生き、辛い修行を経てまで城のために命を捧げようと励むこの男のように
自分もなりたかった。
何故自分にこの者たちのような「強さ」が無いのだろう?
何故自分一人では城も城下も守れないのだろう?
悔しさだけが緋杜の心を蝕んでいた。

ゴツッ

重く鈍い感触が木刀に伝わる。
気付けば雨とは違う、赤い雫が無数に宙を舞っていた。

影千代の木刀はとうに緋杜の一撃で飛ばされており、目の前には顔面や頭から多量に出血した影千代が
真っ直ぐに緋杜を見つめていた。
止まらない体はスローモーションのように木刀を影千代に叩きつけるが
影千代は何度打撃を受けようとも倒れることはない。
見かねた環が緋杜を止めにかかった。

「緋杜様!もう勝負はついております!」

間合いに入った瞬間
環の脇腹に木刀の柄が勢いよく食い込む。
鞠のように弾き飛ばされた環はばしゃっと水音をたてて転がった。

「いーーーっ!!いだだだ!なにすんですかもうっ!!」

「ばぁか!止めになんて入るからだよ」

「だって、あのままじゃ影千代が…」

「頭のイイ奴の考えなんざ読めねえが、まあ黙って見てようぜ」

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