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数日後、緋杜はキジ狩りに向かう事となった。
父親の奨め…というよりも、半ば強引に早朝からキジ狩りに出されたのだ。
数名の家来と、護衛に環が付いて行く事となった。
やりたくもないキジ狩り。しかも護衛は環一人。憂鬱という二文字しか浮かんでこない。
数日三人組と寝食を共にしてはいるが単純な思考回路で本能に逆らう事無く生きている雷蔵に比べ、環は何を考えているのかわからない。
「若様、私どもはこちらで休憩用の陣を張っておりますゆえごゆるりと狩りをなさって来て下さい」
家来達は環に緋杜を任せると、忙しなく陣を張り始めた。
仕方なく緋杜は父親愛用の火縄銃を持って林の奥へ歩みを進めた。
奥へ行けば行くほど湿気が体を重く包む。
「緋杜様、キジではありませんが…このような生き物を見つけました」
後ろで何やら穴を掘っていた環が、泥まみれの顔で走り寄ってきた。
手には小さなモグラを掴んでいる。
「ば、馬鹿者!それはモグラだ!そんなものの肉など食えはせん!!」
緋杜に怒鳴られ、バタバタと手足を必死に動かしもがくモグラを不思議そうに眺める環だったが
掘った穴に、またせっせと埋めはじめた。
「お前…まさかモグラを知らんのではないだろうな…」
そのようなわけが無い。
環は二月ほど前に元服している身だ。見た目は十やそこらの子供ではあるが
頭の中まで未成長だとは思えない。否、思いたくは無い。
何せ今現在自分の護衛はこの環一人きり。
頭の中が児童レベルの護衛に身を任せられるものか。

「モグラという生き物を見るのも聞くのも初めてです」

きっぱりと言い放たれた環の言葉に、緋杜の思考が停止した。

「僕は訓練所で戦う方法と敵の命を絶つ方法しか教えられていませんから、どれが食べられる生き物なのかわかりません」

ああそうだ。こいつは暗殺兵器として我が城に迎えられた人間だった。
真っ白に凍りつく緋杜をよそに、今度は樹液を舐める虫を見つけ
環はそちらに目を輝かせてにじり寄っていく。
虫を捕るのかとおもいきや、樹液にたかる虫を一匹ずつ丁寧にどかすと
なんと樹液に顔を近づけはじめたではないか。
緋杜は大慌てで環の顔面を掴むと力の限り地面にその体を叩き落とした。
「いたぁっ!!」
「何を食うつもりだこの大うつけめ!!」
「この飴のようなものを虫が食べておりましたので、食糧になるかと思い毒見を」
そう緋杜に訴えるその目は真剣そのものである。
冗談なぞ微塵も含んではいない。大真面目なのだ。
緋杜の体から力がガクリと抜けた。
「もういい。キジ狩りにお前を供として連れて来たのが間違いだった…」
「緋杜様。畏れ多くも陣内様からのご命令で、今後キジ狩りへの供はこの環がさせていただく事と相成りました。ですのでキジ狩りには次回もお供させていただく所存です」
「なんだと!?」
現城主である父親の命令と言われれば逆らうわけにはいかない。
あの頑固な父のことである。有無を言わさずまたキジ狩りに出されることもあるだろう。
このままではキジ狩りどころか、気疲れと不安に自らの命を狩られかねない。
その日、緋杜とその一行が城に帰ったのは日没過ぎであった。
泥まみれで戻った緋杜と環だが肝心のキジは一匹も持ち帰っては来なかった。



「きったねえな!お前キジも狩らねえで何やってたんだよ?
 若様と一緒にこんな泥だらけで帰ってくるなんざ、どうかしてるぜ」

雷蔵が嫌な顔をしながら環に問うた。

「土の中の生き物を教えてもらっていたんですよ」
「はぁ?!なんだそりゃ?」
「雷蔵はカブトムシという生き物を知っていますか?
カブトムシは土の中に丸くてやわらかい赤ちゃんがいるんです」
「あのな、俺の事バカにしてんのかてめーは!?
カブトぐらい誰でも知ってるっつーんだよ!!」

会話を聞いた影千代が可笑しそうに割って入る。

「環、若君はお前に何と仰ったのだ?」
「次のキジ狩りに行くまでに、簡単な生き物を教えて下さるそうです。
それに歴史や算術、狩りの道具の使い方も」
「そうか、それは良かったな。若君直々に教えて下さる勉学だ。励めよ」
してやったりという影千代の表情に
雷蔵は意味がわからぬまま顔をしかめている。
そこへ勢いよく襖が空いた。早々に体を清め、頭には何故か鉢巻きを巻いての登場である。
「環!まだそのような姿でうろついているのか!早く風呂に入ってこい!!」

「げぇっ!!若様…なんだよその頭…しかもんな大量の本…どうする気だ!?」
異様な気合と出で立ちに雷蔵は思わず後ずさる。

「今日から私が環に勉学を教える。次のキジ狩りまでに、最低限の知識は身に着けてもらうぞ環!」
そう言って眉間にしわを寄せた緋杜が少し楽しそうに見え、
影千代はいつになく不敵な笑みを浮かべて部屋を後にした。


緋杜の中で環に対する違和感は消えていた。
暗殺兵器として育った少年。しかし自分と同じ人間である。
そして中身は見た目以上に無知で幼い。
この世に生まれて人を殺める術しか知らずに散るなど、なんとも悲しいことである。
御庭番という命の危険と背中合わせの役職だからこそ、
この少年に戦い方以外の知識や楽しみを与えてやりたいと素直にそう思ったのだ。



湿気を帯びた風が城を囲むように吹いて回る。
空の彼方では、春から初夏にかけての嵐が出雲にゆっくりと近づいていた。

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