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この少年を初めて見たのは、数年前。
残暑の熱風を秋風に変える嵐が、出雲中を吹き荒れていた晩のことであった。

「今夜からこの者に儂とお前の首を守らせる」

陣内の後ろで緋杜に跪き、深く頭を下げた少年は
訓練所で支給された漆黒の忍び装束を纏い、肩上までの栗色の髪を風に揺らしていた。
「環と申します。宜しく御願い申し上げます。」
そう言葉を発した声色があまりに幼くあどけなかったのを
緋杜は鮮明に覚えていた。

この幼子に首を守らせる?笑えない冗談である。
訓練所から直接拾って来たのならば、何故もっと体格も良く腕っ節の強そうな者を選ばなかったのだろうか。
緋杜は父である陣内に対して、大きな不信感を抱いていた。

しかし環が暗殺係に任命されてから一月。
ぱたりと他城からの密偵が入り込んだという噂や、城主を狙う意不穏な動きが無くなった。
無くなったというよりも、発生してもひとつ残らず消去、抹殺されていたのだ。
環の手によって。

父親の背後でその首を守る少年は、月日を重ねるほどに血生臭さを増していった。
そしてとうとう、緋杜は月光の下で血にまみれ、
密偵の亡骸を引きずるようにぶら下げた子供の顔をした夜叉を目撃してしまったのだった。
寝付けずに月でも眺めようと庭に下りた先にあったのは
栗色の髪を乱し、獣のような眼を光らせた始末係。環の姿。
噎せ返る様な鉄の臭いに思わず吐き戻しそうになる。
さてこれまで何人の命をこのように奪ってきたのだろう.

それからというもの、環を殺人兵器という色眼鏡でしか見ることが出来なくなっていた。
いとも簡単に人の命を奪う死神のような存在。
そのような者がまさか、身を捨てて自分を守るとは…

「緋杜様?お体の具合が悪いのではないですか?」

「いや、なんでもない…やはり話は次の機会にするとしよう。時間はまだある」

湯船に浸かっていたとは思えぬほどに、緋杜の顔は青ざめていた。
自業自得だが、酒を飲み寿命の縮む思いをしたうえ血の臭いを嗅ぐ破目になったせいか
気分の悪さと頭痛が絶え間なく湧き出てくる。
逃げるように浴場を出て、御庭番衆が生活をする宿舎へとたどり着き
意識を失うように眠りに就いた緋杜が目を覚ましたのは昼もすっかり過ぎた頃であった。

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