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共同の風呂場に入るのは初めての事。
緋杜はぐるりと広い浴場を見渡して目当ての人物を探した。

湯けむりの中に幼く華奢な体が浮かんでいる。

───環だ。

「僕はそろそろ上がりますから、ゆっくり湯浴みなさって下さい…」
緋杜の気配を感じ取ったのか、急にくるりと此方を向いて声を掛けてきた。

「まあ待て、お前と話がしたいのだ」
「僕と?…何をでしょうか?」
湯舟に渋々腰を下ろしなおすと、環は明らかに困惑の表情を見せた。
若君が御庭番の自分に一体どのような話があるというのだろう。
予想もつかない展開に目が泳いでいる。
意外だった。
環のこのような顔を緋杜は見た事が無かったのだ。
不敵な微笑みで人を殺める殺人兵器。
普通の人間のように談笑する事も涙を流す事もありはしない。
そう思っていた。

「そう言えばお前は訓練所で一番の成績だったと聞くが…
幼い頃から訓練所に入っていたのか?」
「ええ、多分捨て子だったんじゃないですかね
物心ついたときにはもう訓練所に居ましたから」
他人事のような言い方に、緋杜は違和感を覚えた。
「自分のことだろう?随分とさめているな」
「このような事を悲しそうに話すのも違うと思いますので」
そう言った環の瞳は、何もかもを見透かしたようであった。
「こいつ…」言い知れぬ不快感が緋杜を襲う。
酒を飲んでいた事もあってか理性という枷は何処かへ弾け飛んでいたのだろう
気が付くと緋杜は環の頭を右手で掴み、湯船に力一杯突っ込んでいた。

「げぶぶぶ!!!ぶはっ!!…死ぬ死ぬっ!!!」
バシャバシャと水面を叩く環の左手に
赤黒く染まった布が巻かれているのを認識すると
一瞬で緋杜は我に帰った。

「すまぬ…少々イラッとした…」
「きゅ、急にスイッチ入るのやめていただけますか…」

血圧が急に上がったせいか
左手首に巻いた布が吸い取りきれずに赤い雫を溢れさせてしまったのを
環が慌てて湯船から飛び出て洗い流す。

「あーあ…開いちゃったじゃ無いですかぁ…
怪我人なんですからね、一応。」
「痛むのか?」
「そりゃ痛いですよ。切れてますからね」

けろりと言ってのけるその様子から痛覚など無いような気がしてならない。
人としてではなく、兵器として生きてきた少年。
しかしその腕に流れているものは間違いなく人の血液。
同じ人間だというのに、自分の少年期との相異は明らかである。
緋杜は正義感も強く真面目な性格である。それ故に人を殺め血の香に染まった始末係という役職を心の奥底で軽蔑していた。
だからこそ、その始末係に生かされ守られている自身を情けなくも感じていたのだった。

「緋杜様?どうかされましたか?」

気づけば傷口を綺麗に洗い流し湯船に戻った環が様子を窺っていた。

「いや…考え事をしていた。すまぬ」

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