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――――今は昔

闇に群がる魂が欲望と計略に血潮の華を咲かせていた時代。
246年という長い江戸の歴史に「御庭番」は存在した。
彼等の存在理由は唯一つ。
自らの死に代えても城主の命を全うする事である。

大江戸御庭番・風聞録 『出雲の宴』


「今夜は我々を歓迎する宴を開いていただけるそうだ。早急に支度をしろ」
音もなく八畳ばかりの部屋にすべりこんできた蒼髪の男はそう告げて
てきぱきと身支度をし始めた。
「たかが御庭番を持て成してくれるってか。ここの城主は変わってやがるぜ」
部屋で寛いでいた派手な格好をした赤髪の男が呆れた様に吐き捨てる。
自らの主を愚弄する物言いが気に障ったのか
蒼髪の男は冷たい能面のように赤髪を横目で睨んだ。

双方共、僅か数時間前に御庭番という役職に身を置いたばかりの若者である。
互いの考えは勿論、素性すら知らぬ間柄であったが、
反りが合わない事だけは確信していた。

蒼髪の男の名は影千代。
元は武家の出身である。唯一の血縁者であった父親を亡くした後
父がかつて仕えていた出雲城主、陣内透衛門直属の御庭番に成るべく
江戸での血の滲む様な修行を経て出雲へ舞い戻ったのだ。
出雲城には幼い頃から父親に付き添い、幾度となく出入りしていたこともあり
陣内に対する敬意は非常に強いのである。
ストイックというか、生真面目な性格であることには違いない。
物静かで表情すら滅多に変えることの無いこの青年は
長く垂らした前髪で秀麗な顔立ちを半分近く隠している。
そのミステリアスな雰囲気が、以前から腰元達の間で評判になっていた。

赤髪の男の名は雷蔵。
甲賀忍者集の若頭であったが、父親と大喧嘩の末に勘当されてしまったため
当ても無く出雲をぶらついているところを陣内に拾われた。
御庭番に就任したのも行き当たりばったりの偶然。
それ故に陣内に好感を持ってはいるものの、尊敬の念が薄い様子のこの青年は
自由に生きる事を好み、堅苦しい形式に嫌悪を感じる性格である。
どう転んでも影千代と意気投合などできるはずもなかった。

雷蔵は影千代の冷たい視線など気にかける様子も無く
豊かな赤い髪を椿油で適当にセットし、黒の着流しに紫の羽織という粋な出で立ちに素早く着替えると、
懐に仕込んだ匂い袋の香りを残し部屋を後にした。

「忍が香を纏うとは…。この先が思い遣られる」
慣れない白檀の香りが鼻につき、影千代は思わず眉を顰めた。

橙の月に照らされた廊下の窓からは城下の豊かな自然を眺めることができる。
「…何度見ても絶景だぜ」
思わず立ち止まり、窓に手をかけると雷蔵は呟いた。
出雲城の一角には御庭番衆の居住空間が用意されており、
その場所からも出雲城下の人々の暮らしや、神秘に満ちた山々が一望できるようになっていた。
初めてそれを目にした時、雷蔵は出雲の国を心から美しいと思った。

「今日からここが俺様の住処ってわけだ…」
清んだ空気を肺一杯に吸い込み、瞳を輝かせる雷蔵の背後で何者かが笑った。

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